鯉のぼりの歌詞にお母さんがいない?
鯉のぼりの歌詞にお母さんはいないのでしょうか。
鯉のぼりの歌詞はこちら。
やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
作詞:近藤宮子 作曲:不明
歌詞を確認すると登場するのは「おとうさん」と「こどもたち」。お母さんはいません!
なぜ鯉のぼりの歌詞にお母さんがいないの?
なぜ鯉のぼりの歌詞にお母さんがいないのかというと、理由は「男の子の成長を祝う、願う端午の節句」「当時の時代背景」がありました。
鯉のぼりの始まり
端午の節句の始まりは江戸時代にさかのぼります。もともとは武家の祝いごとでした。 武者人形や兜を飾るのも武家の祝いならではですね。「強くたくましく」を象徴しています。
武家に対抗しようと町人の間で鯉のぼりがあげられるようになりました。当時は男の子を象徴する黒色の真鯉ひとつのみ。
鯉のぼりは中国の伝説が由来しています。鯉のぼりの鯉は「登り龍」を表現しています。
もともと鯉はきれいな水でなくても、沼地などで生息できる生命力の強い魚。
その昔、「中国の竜門という激しい滝を昇りきった魚は龍になる」といわれていました。一匹の鯉が激しい滝の流れに逆らいながら竜門を昇りきった際、鯉は龍へと変わり天に昇ったという伝説があります。
この伝説から「男の子がたくましく成長できるように」と端午の節句の鯉のぼりに転じました。
鯉のぼりの変化
当初は男の子を象徴する黒色の真鯉ひとつのみだった鯉のぼり。
明治時代に真鯉と緋鯉、ふたつの鯉のぼりになります。真鯉はお父さん、緋鯉は男の子を表していました。
明治時代は家長制度。父が一番偉い、次に偉いのは長男とされており、ひとつのみだった鯉のぼりが変化したと言われています。
鯉のぼりの歌が発表されたのは1930年代前半(1930年は昭和5年)。作詞者の近藤宮子さんは当時20代で家長制度の時代を過ごしていました。当時の時代背景から「 おおきいまごいは おとうさん ちいさいひごいは こどもたち」となりました。
昭和20年の第二次世界大戦後、高度経済成長、昭和39年には東京オリンピック開催もあり家長制度から時代は変化。家族に焦点があてられるようになりました。
鯉のぼり職人がオリンピックの五輪からヒントを得て、カラフルな鯉のぼりの案を出したと言われています。真鯉はお父さん、緋鯉はお母さん、小鯉は子どもたちと言われています。
こいのぼり歌詞 2番にお母さんがいた!
レコード会社が「1番だけでは短すぎるから」と付け加えたこいのぼりの2番。この2番の歌詞にお母さんがいました!
昭和57年に音楽之友社から発行された「おんがくのきょうかしょ1」に記載されています。
やねよりたかい こいのぼり
おおきいひごいは おかあさん
ちいさいまごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
作詞:不明
鯉のぼりの1番では「大きい真鯉はお父さん」「小さい緋鯉は子どもたち」でしたが
鯉のぼりの2番では「大きい緋鯉はお母さん」「小さい真鯉は子どもたち」となりました。
2番の作詞者が不明のため歌詞の真意は謎ですが、「1番にお母さんが登場してない!2番に登場させよう!」と思ったのかもしれません。
こいのぼりの歌詞 2番は他にも!
鯉のぼりの歌詞、2番は他にもありました。
ごがつのかぜに こいのぼり
めだまをちかちか ひからせて
おびれをくるくる おどらせて
あかるいそらを およいでる
作詞:小林 純一
ごがつのかぜに~♪の2番は昭和44年の「新訂標準おんがく1」の教科書に掲載されました。
みぞりのかぜに さそわれて
ひらひらはためく ふきながし
くるくるまわる かざぐるま
おもしろそうに およいでる
作詞:不明
みどりのかぜに~♪は作詞者不明。
鯉のぼりの歌 動画
鯉のぼりの歌の動画を紹介します♪
こちらの動画では近藤宮子さんが作詞された、1番の歌詞をくり返しています。
鯉のぼりの歌詞にお母さんがいない?2番は?理由と真相を解説!まとめ
鯉のぼりの歌詞にお母さんがいない?いない理由、実は2番があった!?の真相を解説しました。
- 最初につくられた鯉のぼりの歌詞にはお母さんはいない
- 歌詞にお母さんがいない理由
男の子の成長を祝う・願う端午の節句
当時の時代 - 後から鯉のぼりの2番がつくられた
2番の歌詞の種類の多さにおどろきますね…!
鯉のぼりを飾る前に知っておきたい!コチラの記事で鯉のぼりの吹き流しの色・順番・意味について解説しています♪
「鯉のぼりが怖い」と感じることはないでしょうか?コチラの記事で理由をまとめています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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